CHÂTEAU LAGRANGE – Saint Julien

2023.3.21、フランス・ボルドーの “Château Lagrange シャトーラグランジュ”を訪問しました。

2000年刊行 『フランス発見の旅 – 魅惑の地方を訪ねる』という本の中に「メドック シャトーラグランジュ物語」というページがあり、それを読んだ私は「いつか、シャトーラグランジュに行きたい」と思った。 そして何より、サントリー塩尻ワイナリーのブドウ生産者の一人として、シャトーラグランジュは憧れの存在でもあった。

今回の訪問に際し、特別に対応してくださったシャトーラグランジュの関係者様、そして、サントリー塩尻ワイナリーの皆様に感謝申し上げます。

シャトーラグランジュは、ボルドー市から40~50km、メドックの中央に位置するサンジュリアン、東は大西洋、西はジロンド川まで3kmという場所にあり、サントリーの所有するワイナリーとして日本でもよく知られる。

シャトーの歴史は古く、中世の時代には、敷地の東側に広がるPellecahusの小作地と、西の丘の上にあるLagrange de Monteilの屋敷に分断されていたといい、17世紀にその二つの領地が統合されラグランジュの農園が誕生。 その後200年間、ラグランジュの所有権は1つのファミリーに代々受け継がれ、メドック有数の名門ワイナリーへと発展。

1787年、当時のアメリカ合衆国駐フランス大使であったトーマスジェファーソンは、ラグランジュを第3級に格付け。 Conte Duchâtelデュシャテル伯爵のもとに所有権のあった1842年〜1875年は、ラグランジュの黄金時代と言われ、1855年 メドック公式格付第3級入り。

しかしその後、フィロキセラの危機、世界大戦、火災事故、財政危機などにより、ラグランジュはしだいに衰退、ブドウ畑は荒廃した。

1983年、日本のサントリーがセンドーヤ家から買収した時、面積は157ha、ブドウ畑は56haにまで縮小・荒廃した状況であった。

サントリーが経営権を取得してから本年(2023)で40周年となるが、当時、日本企業がボルドーのワイナリーを買収することに対して地元の抵抗感はとても強かった。 メドックの名門シャトーの所有者としての信頼を得るために、サントリーは3つの約束事を設けたという。

1、メドックの伝統を守る

2、地元の雇用を守る

3、ラグランジュのブランドを甦らせる

メドックの伝統を守るということは、つまり、ネゴシアン(卸業者)を通して販売するということ。 プリムールと呼ばれるボルドー独自の販売システムを踏襲することでもある。

9月〜10月に収穫されたブドウは圧搾・発酵させたあと、木樽に入れて熟成。 翌年4月、まだ樽で育成中の新酒をネゴシアンと共に味見し、瓶詰めする前のワインの取引・販売が行われる。 シャトーラグランジュでは、日本向けのワイン販売でさえ、全ての製品(Haut Médoc等を除く)をネゴシアンを通して行う。

シャトーラグランジュの敷地面積は157ha。ブドウ園は118haで、1枚・地続きの畑が広がり、100を超す区画に細分化され、個別に管理。

ブドウの収穫は、10kgカゴを使用し、全て手摘みで行われる。

敷地に運ばれてきたブドウは、手で選果され、除梗。さらに、カメラとセンサーによって粒レベルで識別され、不良果を徹底除去。 

果汁は、地質分析や品種によって(現在)108に細分化されている区画ごとに発酵タンクが用意されており、それぞれが「フリーラン」と「それ以外」に分けられ発酵される。全てのタンクの発酵環境を司令室で一元的に数値管理する。

3週間ほどで、約200タイプのベースワインが出来上がり、それぞれを樽で寝かす。(1つの樽で、約300本分のワインを熟成) 熟成庫は4棟あり、温度13-14°C、湿度80-90%に管理。

樽は毎年購入し、樽感を強く出したいプルミエの「シャトー ラグランジュ」での新樽比率は高く、よりフルーティーなセカンドワインの「レ フィエフ ド ラグランジュ」では低くなる。

シャトーラグランジュで役目を終えたほぼ全ての樽が、その後、日本でサントリーのウイスキー(山崎・白州など)製造に使用されるとのこと。 

多様性のある栽培環境をつくるため、もともと敷地内に流れていた小川から水路を設けて沼をつくり、敷地内では化学製品ベースの除草剤の使用を廃止するなど、環境負荷の少ないグランヴァン生産に取り組む。 

最後に、シャトーラグランジュのワインをテイスティング。

車での訪問であったが、少しぐらいのアルコール摂取はフランスでは許されるだろうと勝手に自分に言い聞かせ、口に含んだワインは、味わいながら全て飲み込んだ。

2023.4.23 Ko HAYASHI