Le Cidre Cotentin:歴史人物

 Guillaume Dursus 

スペイン北部 ナバラ王国 Navarre 出身。 シャルル8世に仕える外国人の傭兵だった彼は、 褒美としてノルマンディーに住むことを許可され、 “Lestre” / “Anneville-en-Saire” の領主となる。

彼が、ビスカイエ Biscaye からノルマンディーに導入したシードル醸造用品種は、それまでにフランス北部で栽培されていたリンゴよりも、非常に優れていた。 それらは Vallée d’Auge、 Pomme de monsieur de Lestre、  Barbarye、 Epicé、 Greffe de Monsieur、 Pomme de la Hougue、 Barbarie de Biscaye などの品種と言われるが、来歴や名称には、諸説あるようだ。

彼のリンゴでつくられたシードルは評価が高く、 なかでも “Epicé” エピセという品種のシードルは、とても秀逸で卓越していたと記録される。 1532年、フランス王 フランソワ1世 François 1er は、コトンタン半島を公式訪問、 ノルマンディー沿岸の防衛を視察。 その任務にあたっていたDursusは、王に同行したという。 その際、“Epicé” のシードルは、フランソワを魅了。 コトンタンのシードルが、 「ワインの国 」ロワールの宮廷で飲まれるようになる。 ( Epicé という名のリンゴは、別名 “Pomme d’Epice”、後に “Fenouillet roux”、最終的に “Fenouillet gris” になったという。 フレカンフェルムの果樹園に植えられている「フヌイエグリ Fenouillet gris」が、この“Epicé”であるかは不明)

Gilles de Gouberville

グーベルヴィル卿 Sire de Goubervilleは、 作家・ジャーナリスト・歴史家にして、果樹栽培や発酵に興味があった。 多くの庭を所有していたが、その全てにリンゴの樹を植えた。 彼が、いかにリンゴという植物に夢中だったか。それは、出版するつもりのなかった彼の書物  “Livre de raison”や、彼の新聞 “Journal de Gilles de Gouberville” に記録されている。

1553年3月28日、その新聞には シードルの蒸留方法が掲載された。 歴史上初めて、 現在「カルヴァドス」と呼ばれる蒸留酒について言及したもので、 翌年、彼はイタリア人の助けを借り、“Eau de vie de cidre”の蒸留をしたといわれる。だが、1554年9月1日、オドヴィをつくるための容器 vaisseau を所有していたことは確認できるが、実際に蒸留したという事実は証明されていない。

彼が栽培し、知人にも推奨した 40種類程のリンゴは、次のように記録される。 Alizon、 Amer-Doux、 Barbarye、 Bec-de-Raillé、 Becquet、 Boscq、 Clérel、 Couet、 Coustour、 Doux-Raillé、 Dumont、 Durepel、 Epicey、 Feuillard、 Gentil、 Gros-Doux、 Guillot-Roger、Haye、 Jumelle、 Long-pied、 Marin-Onfrey、 Menuel、 Moysi、 Orenge、 Ozenne、 Roussay、 Testonnet、 Thoumine-Roger

彼は、醸造品種だけでなく、Cappendu、 Passe-Pommes(=Calville Rouge?)、 Rainettes など、生食可能なリンゴについても、優良品種を選抜。 それは、ポワレ用の洋梨 『pour fère du péray (du poiré)』 についても同様だった。 彼の日誌には、 『 Verd-caillouz は、果実を傷めないよう、柔らかい毛布に、注意深く落として収穫』などと書かれている。

彼は、果汁を絞った残りかす(Marc)から、特定品種の種を回収、それらを播種。 苗を育成・分類し、自宅の庭園に植えた。 その数は年々増え、しだいに遠くの圃場へと栽培面積は拡大。 新たなシードルリンゴの樹を生み出す。 彼のリンゴたちは、可能な限り最良の条件で栽培され、収穫。 悪天候のなか、地面で山積みになったリンゴから、傷んだ果実を丁寧に取り除き、よく乾燥した屋敷の屋根裏部屋に運び入れ、あるいは、醸造所で搾汁機の上部の床に広げられたという。

彼は、品種の特性を尊重。 収穫した果実はそれぞれを区別して保管。 できる限り最適なタイミングで搾汁し、各品種ごとにシードルをつくった。 この手法により、現存する醸造用品種 “Marin Onfroy”(後述)のような、品質の良い果実を選抜。 様々なリンゴでつくらる彼のシードルは、屋敷を訪れる客人を喜ばせただけでなく、特定の病気を治すための治療にも試された。 そして何より、たくさんの同居人たちに需要があったため、殆ど販売されることがなかったという。

今でも、彼の邸宅 “Le manoir de Barville” は、シェルブール近くの Mesnil-au-Valにある。 新聞は、本として出版され、田舎の小さな貴族の日常を通して、16世紀のノルマンディーの歴史を語る。 彼についての研究を推奨する ジル ド グーベルヴィル委員会 Comité Gilles de Gouberville は、Webサイトを公開。 2021年、Gilles de Gouberville 生誕 500周年が祝われる。

Marin Onfroy

彼は、『美しいリンゴの樹で覆われた森を通った』という、サンティアゴ デ コンポステーラ巡礼(Santiago de Compostela)から帰った人の記事を読み、新たなリンゴの穂木を入手するため、そこ(スペイン北部)へ行くことにした。 そして、Biscayeから持ち帰った品種の一つが “Marin Onfroy” であり、現在も “Cidre Cotentin”に使用される。

Julien le Paulmier

コトンタン出身、シャルル9世・アンリ3世の医師。 1588年、シードルについて書かれた最も古い論文となる “De vino et Pomaceo” (医学に関するラテン語の論文。 仏訳 “Traité du vin et du sidre” 1589 Jacques de Cahaignes)を発表。 『コトンタンでつくられるシードルは、ノルマンディーで最高』と評価した。

医師である彼は、シードルが健康に良いと考えた。 彼は “Saint-Barthélemy” に滞在する日々のなか、虐殺や病気で、多くの友人たちが亡くなるのを目の当たりにし、 彼自身も、心臓の動悸や心気症を患う。 しかし、それらを克服。 治癒の成功はシードルの飲用にあるとし、健康との関連について研究。それを推奨する論文を書いた。 彼は、Bordeax、 Bourgogne、 Île-de-France、 Château-Thierry、 Orléans、 Montmartre、 Argenteuil、 Anjouなど、様々な産地、年代物のワインのもたらす効能について、歴史的・医学的に考察。 そして 『ワインよりも(シードルを)選ぶべき』だと示した。 同僚の手紙には、彼は『パリジャンに殆ど知られていなかった飲み物に薬を追加し、1 écu / ボトルで販売した』と書かれる。

2021.8.23 Ko HAYASHI


Photo:Rond-Point LAVAL 2016.2. 円の中央に何もない、路面のマークだけの環状交差点 Rond-Point では、どのようなラインをトレースして曲がるべきか、迷ってしまうことがある。 とりあえず、 他に車がいなくとも、 ぐるっと回り込んで、左折。