シードルの製法は、6世紀頃、ビスカイの船乗りによって伝播したという。 コトンタン半島では、12世紀にシードルが製造されていたという記録があり、13世紀には、すでに海を渡ってスペイン北部のタニックな品種が到着。そのため、当時から、評価の高いシードルを生産する果樹園の存在が知られていた。
13世紀以降、シードルはコトンタン半島に根付いた。 1259年、ルイ9世 Saint-Louis は、飢餓に対する食料確保のため、穀物を原料とした発酵飲料を禁止。14世紀頃から、シードルは “Cervoise”(ビール)に取って代わり始める。 その後の増税や、シャルル9世 Charles IX の穀物生産を優先する法令によって、ワインも衰退。 16世紀、ブドウの木は引き抜かれ、 比較的こうした措置を免れたシードルは、この地域で躍進した。
16世紀頃のシードル生産は、巨大な搾汁機を備えた大農場・屋敷・修道院が中心だったという。 この時代、コトンタンでポモロジーが誕生。シードルの品質は向上した。 ポモロジー Pomologieとは、ラテン語の Pomus(果実) Pomona(果実の神)に由来し、品種を特定・識別・分類、その特徴を記述、保存栽培などを行う、果樹園芸学の一分野。 (現在は遺伝子学などが発達し、品種改良は専門機関や種苗業者が担う)
フランスにおけるポモロジーの登場は17世紀とされるが、コトンタンではすでに16世紀、 Guillaume Dursus、 Sire de Gouberville、 Julien le Paulmier らによって、シードルの果樹園芸学 La pomologie cidricole は始まっていた。 スペインから優れた醸造リンゴが導入され、品種の選択や製法の研究は進み、 『ノルマンディーで最も優れる』と評されたコトンタンのシードルは、貴族たちに好んで飲まれるようになった。
その後 数世紀にわたり、コトンタンではシードルの生産が優勢のままだった。 当時の名声を裏付けるように、19世紀後半~1930年までの毎年、Association pomologique Française フランス ポモロジー協会主催の果樹園芸学会議と同時に行われるコンクールで、コトンタンのシードルは、Quibou / Valognes / Turqueville / Dangy / Saint-Lô / Saussey 地区の生産者によって、何度も1位を獲得した。
20世紀前半、シードルは日常的な飲み物となる。 当時は、樽から直接取り出して飲むという消費スタイルで、まだ、炭酸は入っていなかった。 一般大衆による消費の拡大は、人口の密集した地域(シェルブールなど)の小売店やカフェへ、 直接、樽で納品することを可能にした。 しかし、状況は一転する。
1930年代~80年代、戦争や農村社会の構造変化(衰退)により、シードルの生産・消費は、減少の一途を辿る。 第二次世界大戦、コトンタン半島はノルマンディーの戦い(Opération Overlord)における主戦場の1つとして、果樹園はその巻添えとなった。 記録では 『高さ3m近い古くからの土手と生け垣は、それぞれが100~200mにも及び、戦車、砲撃、視界を妨ぎ、理想的な防御陣地を形成』。 ドイツ軍は、アメリカ軍を阻止するために、ボカージュの垣根を利用した。 それは非常に効果的で、リンゴ園でも激戦が行われたことを意味する。
1980年代、協同組合運動のさなか、コトンタンでは、シードルの生産振興によって地域の価値再生を目指す生産者グループが現れる。 彼らは、コトンタンの伝統技術・習慣の継承を推進。 プレヴェルジェ pré-verger と呼ばれる、昔ながらのオートティージュによる 牧草地のリンゴ栽培を維持。 園地全面に草を生やし、ボカージュの生け垣によって果樹園を保護。 さらに、それを特別なバスティージュへと進化。 伝統あるコトンタンの優れた土着品種(ポリフェノールの多い Amères、Douce-Amèresタイプのリンゴ)を栽培。 より自然なシードルを得るために、炭酸の添加や火入れ Pasteurisationを禁止。
1999年、コトンタン半島のシードル生産者による初めての会議が開催。 翌年、コトンタンのシードルを保護・支援・プロモーション活動を行う組織 “Syndicat de défense et de promotion du cidre du Cotentin” を創設。 そして、AOC取得に向けた、仕様書の検討作業を経て、 2016年、INAO(Institut National des Appellations d’Origine)による、AOC(Appellation d’Origine Contrôlée)承認。 2018年、Union Européenneによる、AOP(Appellation d’Origine Protégée)承認となった。
2021.7.30 Ko HAYASHI
Photo:Le vélo jaune de la Poste METZ 2018.2. かつて、郵便は、遠い農村へ届けるのは困難だった。 1893年に登場した La Posteの自転車はそれを容易にし、 フランス領土を一つにしたといわれる。 その「黄色い自転車」は、軽快で、機能的で、エコロジカルで、 “Le Tour” の国を象徴する乗り物といえる。 ただ、山の多い地域では「赤いオートバイ」を、お勧めしたい。